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熊本地方裁判所玉名支部 昭和46年(モ)4号 判決

申立人(仮処分被申請人) 内村健一

右訴訟代理人弁護士 三原道也

被申立人(仮処分申請人) 有限会社ホテル一龍閣

右代表者代表取締役 高橋秀夫

右訴訟代理人弁護士 三角秀一

主文

当裁判所が昭和四五年一二月二八日同裁判所同年(ヨ)第二五号仮処分命令申請事件についてなした仮処分決定は、申立人において金一〇万円の保証を立てることを条件として取消す。

訴訟費用は被申立人の負担とする。

この判決は主文第一項に限り仮にこれを執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

(一)  当裁判所が昭和四五年一二月二八日被申立人の申請に基づき、同人を申請人、申立人を被申請人とする仮処分命令申請事件において、「一、別紙(一)記載の温泉動力装置に対する被申請人の占有を解いて熊本地方裁判所玉名支部執行官にその保管を命ずる。二、被申請人は別紙(二)記載の温泉掘さく許可(熊本県指令環昭和四〇年第五三五号、同昭和四二年第三七二号)並びに温泉利用許可に基づく温泉利用をしてはならない。」旨の仮処分決定をなしたことならびに別紙(三)記載の物件はもと被申立人の所有であったが申請外九州相互銀行の競売申立により同銀行がこれを競落し、さらに申立人が右銀行からその譲渡を受け現にこれを所有していることについては、当事者間に争いがない。

(二)  ところで、被申立人は本件仮処分による被保全権利として、被申立人が熊本県知事より温泉掘さく許可・温泉利用許可・温泉動力装置許可等を受けている権利、右温泉利用等に随伴する一種の暖簾類似の営業権的価値の保有ならびに温泉動力装置等一式に対する所有権を主張し、申立人は一応これらの権利の存在を争うと共に、疎明準備上右権利関係の有無はしばらく措くとしても、それはいずれも金銭による補償が可能であるから本件はすくなくとも仮処分取消の特別事情がある場合に該当することは明らかである旨主張するので、当裁判所は被申立人が被保全権利として挙示する権利関係の金銭補償性の有無判断の前提として必要な範囲においてその被保全権利性についても若干考察を加えることにする。

まづ≪証拠省略≫によると、被申立人が熊本県知事から、別紙(三)掲記の土地において温泉を湧出させる目的で土地を掘さくし、温泉の湧出量を増加させるため動力を装置し、また温泉を公共の浴用に供することについての許可を受け、現在も右許可名義者となっていることが認められる。

そこで、右許可関係の権利性の有無、性質等について検討するに、右許可は公法上のもの(温泉法に基づくもの)であり、土地所有権の行使に対し、温泉源を保護し、その利用の適正化をはかるという公益上の見地から課した制限を特定の場合に解除する趣旨のもので、行政取締目的に出た警察許可の性質を有するものに過ぎず、新たに権利または能力を賦与するいわゆる設権的行政行為すなわち形成的処分としての特許等ではないことが明らかであるから、右許可を受けているということ自体が特定の権利性とくに物権類似の排他性を有する権利性を帯びるものではないといわなければならない。

まして被申立人は既に該土地に対する所有権を失い温泉法第三条第二項の許可要件を欠くにいたったものであるから、知事よりの温泉掘さく・温泉利用・温泉動力装置等についての許可名義を有しても、それは既に形骸化し実体の無いものであり、これを本件のごとき差止め的仮処分の被保全権利として主張することは失当であるといわなければならない。

反面土地所有権者といえども、温泉を湧出させる目的で該土地を掘さくしもしくは温泉として利用するためには知事の許可を要するものであり、右許可を受けずにかかる所為に出ることは違法たるを免れない(罰則の適用もある)ものであるところ、申立人は未だ同人名義による知事の許可を受けておらないのであるが、かかる場合においても権利の濫用にわたらないかぎり、それは公法上(行政取締上)の問題たるに止まり、私人相互間において差止権行使の問題は生ずる余地がないのである。

なお、温泉の掘さく・利用関係には、公法(温泉法)上の許可関係を捨象した私権もしくは許可を条件とした潜在的な権利としての利用権いわゆる「温泉利用権」なるものも存在すると考えられるのであるが、かかる権利も土地所有権(あるいはこれに由来する土地使用権)に基づき地下水の一種である温泉を権利の濫用にわたらない範囲で自由に利用、処分できる権利であると解されており(昭31・11・8福岡高判、高判集9・11・1参照)、原則としてそれは当該温泉(摂氏二五度以上の温水)の湧出する土地の所有権者に帰属する権利であって、土地所有権と離れては考えられない権利であると観念されておるのである。

尤もこれら権利中にも地方慣習法により、土地所有権から分離された一種の物権として認められている場合も例外的に存し(昭15・9・18大審院判決、集19・19・1611参照)、また慣習法上土地所有権から独立した地下の公水に対する公物使用権の性質(河水の占用権と同じ性質)をもつ場合もある(美濃部達吉・日本行政法下八四〇頁参照)とされているが、本件においてかかる慣習法の存することについての疎明はない。

されば被申立人にかかる私権としての温泉利用権もしくは公物使用権としての温泉利用権の現存しないことも明らかであるというべく、したがってこれらをもって被保全権利となし得ないことも明白である。

つぎに、≪証拠省略≫によれば、九州各地の温泉地において温泉旅館の売買、譲渡に際しその対価は、当該土地・建物等の客観的価格のほかに、一種の暖簾的営業権的な価値の金額が加算されて決定される場合の多いことが認められ、鑑定人による対象物件の客観的評価を基準として価格の決定される不動産競売の場合との間にその金額上格段の開きの生ずべきことは否定できないところというべきである。

しかし、これは前者においては売手が自主的立場に立って自由に売買ないしその価格を決定し得る地位にあるのに比し、後者においては売手(債務者)が受動的立場に立たされ、右のような自由がないこと換言すれば売買実勢の相違からくる免れ難い必然であって、これがため競売債務者は競落後においても競落人に対し、かかる価値権的利益を請求ないし追求し得る権利が留保されているものということのできないことは勿論である。

いうまでもなく、競売は鑑定人による評価等合理的な方法を経て定めた客観的に妥当な価額を最低の競売価額として行われなければならないものであり、客観的価額にことさら競売市場の特殊性等による価額調整を加えた結果の金額を標準とするようなことは許されず、もし公告表示の価額が客観的価額より不当に低価であるときは民事訴訟法第六五八条第六号所定の最低競売価額の表示を欠くということに帰着し、同法第六七四条第六七二条第四号により競落不許の事由ともなるべきものであるが、反面当該不動産の客観的価額のほかに、とくに営業権的な価値価額を別途加算すべき旨のことは要求されておらない(勿論これらの要素が内在し、かかる事情が反映して客観的価額が形成されているものとして該不動産価額が評価され、また評価されなければならないものであるが)ので、最低競売価額評価の中にかかる内訳が明記されておらなかったとしても、右最低競売価額としての表示に消長を来たすものではないといわなければならない。

しかして、≪証拠省略≫によれば、本件不動産の価額は適法な選任手続を経た鑑定人下津三郎(玉名市役所建築課々長補佐一級建築士)が右不動産の位置、交通関係、建物の構造、資材、建築経過年数、固定資産評価額等一切の事情を綜合して評価した客観性のあるものであり、十分合理性妥当性の認められるものであるから、右競売には何らの瑕疵がなく、該不動産の所有権は完全に競落人の取得に帰し、さらにこれを譲り受けた申立人の所有となったものというべきである。

そうすると、被申立人において該不動産につきなお右営業権的価値を保有するものとしてこれを被保全権利として主張することの失当であることも明らかであるというべきである。

以上によれば、被申立人が仮処分申請理由として主張している同人が知事よりの温泉掘さく・温泉利用等の許可名義人となっていることないし私権的温泉利用権もしくは営業権的価値利益を保有している等のことは、その実体がないか、あったとしても被保全権利たり得ない性質のものであるから、これらについて特別事情としての金銭補償性の有無を検討する必要はないものといわなければならない。

つぎに、≪証拠省略≫を綜合すれば、被申立人主張の温泉動力装置というのは、競落不動産の一部である軽量鉄骨二階建機械室中に据え付けてあるもので、空気圧縮機(三・七KW用)一台、同モーター(三・七KW―四P)一台および圧力タンク一基から成り、地下の温水汲み上げの作用を営むものであって、右機械室(建物)の構成部分ではなく取り外しが可能な物件であることが認められるので、それ自体が動産であることは明らかであり、なお右機能の点から主物たる不動産(機械室を含む温泉旅館の建物全体)の常用に供せられるものとして、従物たる性質を有するものと思料される。

そうであるとすれば、右動力装置一式は主物たる温泉旅館建物と法律上の命運を共にして競落の対象となり、さらに申立人の所有に帰したものと考えるのが一応自然である。

しかし、≪証拠省略≫によると、同じ温泉旅館建物の従物と考えられる畳建具、クーリングタワー一式、圧力式急速過装置二、密閉式冷房圧縮機一、煖房用一式、コンプレッサー一式、インダクションモーター七基等については競売調書中に明記されているのに拘らず、前記動力装置一式については不動産評価書中にも、また右有体動産の競売調書中にも何らの記載の存しないことが認められる。

そうすると、右物件については、前記競売に際しその対象からとくに除外されておったものであり、現になお被申立人の所有に属するものであるという同人の主張もいちがいに、すくなくとも現在の疎明段階ではこれを排斥し得ない(けだし、競売においても従物は主物の処分に従う旨の原則が適用されることは前記のとおりであるが、当事者が明示もしくは黙示的に別段の意思表示をなすことにより右原則の適用を修正もしくは変更しうるからである)ものといわなければならない(なお申立人の即時取得の点についてはその疎明がない)。

(三)  ところで≪証拠省略≫を綜合すると、右動力装置一式は中古品価格としては四万五、〇〇〇円にしか評価されないが、新品としては七万円(購入時価格)位するものであり、かつ右新調時と申立人の使用時までの間は一年未満であることが認められるので、右申立人の使用時点においても概ね原価に近い実質的使用価値を有したものとみて差支えなく、これに現在までの使用料その他雑損等を考慮するときは概ね一〇万円位の綜合価値を有するものと判断される。

然りとすれば、申立人が被申立人の権利を侵害しているとしても、被申立人の損害は結局において右温泉動力装置一式の価額ならびにその使用損料に相当する損害であるから、その被保全権利は金銭によって十分に補償できるものといわなければならない。

勿論仮処分権利者が金銭補償によって終局の目的を達し得るものといわんがためには、被保全権利が財産権であり、金銭賠償が可能であるというだけでは不十分で、債権者・債務者間の実質的利益の衡平という観点からして被保全権利の実現と金銭賠償によって受ける利益、換言すれば仮処分と提供された保証とが価値上等質のものでなければならないのであるが、本件の場合被申立人は右動力装置の現実占有を回復しても係争土地・建物において右装置を利用し温泉旅館を営むことはできないのであるから、右装置は企業利益の構成要素としての面を捨象した一個の機械動産、すなわち代替性のある財貨的価値を有するものとして評価付けされるに止まるものというべきである。

そうすると、本件仮処分における被保全権利と金銭賠償によって受ける利益とは等価値であるということができ、前記結論を動かすものではないことが明白である。

一方、≪証拠省略≫を綜合すれば、本件温泉旅館は申立人がその代表者をしている権利能力のない社団である第一相互経済研究所入会会員の温泉保養所として使用されており、一日平均約三〇人に及ぶ遠隔地からの宿泊利用者があるところ、本件仮処分によって事実上温泉使用が不可能となったため右宿泊利用者を熊本市内のホテルに代宿させる等相当多額の出費を生じその対策について苦慮しておることが認められ、これは異常の損害(仮処分債務者側における)とみるを妨げないものであるから、前記金銭補償の可能性(仮処分債権者側における)と相俟って特別事情を構成するものというべきである。

尤も、申立人は未だその名義をもってする温泉掘さく・温泉利用等について知事の許可を受けてはおらないのであるが、≪証拠省略≫によると、目下その手続中であり、添付図面の不備等に因り遅れているが、近日中に右許可のおりることが期待されており、同人従来の無許可温泉利用も法の不知から出た過失に因るものであることが認められ、温泉法の解釈としても土地所有権者からの温泉の掘さく・利用等の申請に対しては公益上格別の障害事由がないかぎり原則としてこれを許可すべきものであって、その不許可は特別の例外とされている――昭33・7・1最高三小廷判、集12・11・1612参照――ので、右期待の確度は極めて高いものとみることができるから、既に当該土地の所有権を喪失し温泉の掘さく・利用についての期待可能性が殆んどない被申立人の立場と対比し相対的に考察するときは、申立人について前記損害を肯認することは決して不当ではないものというべきである(また仮りに無許可温泉利用として損害を肯認し得ないとしても、被申立人の被保全権利について金銭補償の十分なる可能性が存することは、前認定のとおりであるから、本件については到底特別事情の存在を否定し得ないものである)。

(四)  以上によると、本件仮処分の取消により被申立人がその被保全権利について被むるべき損害は申立人をして金一〇万円を保証として立てしめることにより償われ得るものと考えられるので、当裁判所は申立人において右金一〇万円の保証を立てることを条件として嚢に当裁判所がなした仮処分決定を取消すこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を、右仮処分決定取消についての仮執行宣言につき同法第七五六条の二、第一九六条をそれぞれ適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川晴雄)

〈以下省略〉

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